スキるUP日記

2025/07/15

ただ伝えるんじゃない、「伝わる」ことを考える

うちやま

何気なく参加したイベントや読んだ本、聞いた言葉。

その瞬間はただ通り過ぎたはずなのに、あとからじわじわと心に響いて、

まるで溶け込むように自分の一部になっていく。

そんな体験を通して、これまでの自分の思考や経験と、新しく拾った情報が不意につながり、ひとつの“わたしの考え”としてかたちになる瞬間があります。

今回は、そんな小さな衝撃=「くらった!」体験をきっかけに、わたしの内側で起きた静かな変化を綴ります。

あ、伝わった!ってどんなとき?

たとえば、会話のテンポが自然に合ったとき。説明をしていて、相手が続きを言ってくれたとき。なんでもない言葉のやりとりに、“あ、今同じものをみてる”と感じられるとき。

私は、それを「伝わった」という感覚だと思っています。

Webやグラフィックのデザイナーとして日々、誰かに何かを届ける仕事に携わるなかで、「伝える」じゃなく「伝わる」ってどういうことなんだろう?と考えるようになりました。

「アートとコピー」での学び

今、コピーライターの阿部広太郎さんが講師を務める宣伝会議の講座「コピーライター養成講座×アートディレクター養成講座『アートとコピー』コース 阿部広太郎クラス」を受講しています。アートディレクターとコピーライターがコンビを組み、毎月の課題に向き合いながら、「絵と言葉で伝える力」を深めていく講座です。

そこで出会った考え方が、「伝わる」ということへの見方を変えてくれました。

映像が頭に流れるという感覚

ある日の講義で、ゲスト講師の前田高志さんが語った「伝わる=人の頭の中に映像が流れること」という言葉に、はっとさせられました。

ちょうど自分が“伝わった!”と感じたときの感覚と重なったからです。

それは、ただ情報を理解したというよりも、“こちらと同じイメージを頭の中で再生できている”という感覚。どんなコミュニケーションも「映像を再生させること」ができたとき、「伝わった」と感じるのかもしれません。

誤解ってすごい嫌だ。という原点

小学生のとき、遊ぶ約束を「したつもり」だったのに、相手は「していない」と言った——そんなできごとが今も記憶に残っています。

また、映画やドラマのすれ違いシーンも飛ばしたくなるほど苦手。

わたしのなかで「誤解されたくない/させたくない」という感情が、根っこにあります。

ただ見た目を整えるのではなく、「ちゃんと届くこと」「きちんと相手に理解してもらうこと」。デザインでそれを叶えたいと思うのは、その感情も理由のひとつになっていると思います。

「伝わる」を定義するということ

講義での気づきから、阿部さんと前田さんの著書を改めて読み返しました。

阿部さんは「伝わるとは思い出せること」と定義しています。 

また前田さんは「デザインには思考の背骨が必要」と言います。

つまり、“伝わる”という言葉の定義がないと、伝えること自体が成立しない。 そのゴールを持たないまま走り続けても、永遠にたどり着けない。

この学びの体験から、自分にとっての「伝わる」を言語化してみようと考えるようになりました。

「共通体験」と「映像の共有」

『どっぷりスキる』での井川さんや杉山さんの発言とも重なります。 共通体験を通じて感覚を言語化すること、感情を共有すること。それはまさに、「相手の頭の中に映像を流す」ということと近いのではないかと感じました。

受け手の気持ちや背景に寄り添いながら届けることは、Plan/fが“スキ”を拡げる世界観そのものだと実感しました。

伝わるのは始まりでしかない

「伝わる」は一方通行ではない。相手の反応・行動まで含めて、やっと成立するものです。

だから難しいけど、おもしろい。そして、伝わったその先に、ようやく信頼や共感が育まれていく。

「伝える」ではなく「伝わる」ことを考える。その手段はこれだ!と覚悟を決める。そんな意識で、これからもデザインと向き合っていきます。

引用:
阿部広太郎『コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術』
前田高志『愛されるデザイン』

編集者うちやま

一生デザイナーとして生きていくべく、改めて絵と言葉に向き合う日々です。

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